本好きナースマン

色んな本を読んで日々の生活に潤いを与えています。目指すは年間100冊読了。

ローマ人の歴史

古代ローマと聞くと、壮大でいて、昔から歴史があり、今でも遺産がたくさん残っている。しかし高校の時は、地理を専攻し、世界史には全く興味がなかった。今でもカタカナは覚えるのが辛いが、歴史の流れはこの本を読むと非常に興味深いものであった。また、世界遺産が好きな自分にとっては古代ローマ関連の遺跡について触れていることもあったの。あまり知らない人でも手軽に読めるのが魅力である。

 
ロムルスポンペイウスカエサルアントニウスなどローマ建国から帝政が始まるまでにも有名な人物が多くいる。ここでは帝政が開始した紀元前27年からの人物で有名な所を簡単に抜粋。興味がある人は読んでみてください。

アウグストゥス(BC27~AC14)

 世界帝国を築いた偉大なる初代皇帝。16歳でカエサルのスペイン遠征に同行。アクティウムの海戦でアントニウスクレオパトラ連合軍に勝利。

「私はローマを煉瓦の町として引き継ぎ、大理石の都として残すのだ」

という言葉は有名。たびたび洪水や火災に見舞われていた危険度の高い街を、安全で立派な街に整備した。アウグストゥス広場やアポロ神殿、今も残るマルケルス神殿やパンテオンといった公共の施設や広場を整備。

 

ネロ(54~68)

ネロという名前は聞く。暴君=ネロという印象。ネロは17歳という異例の若さで皇帝に即位。即位後の5年は重臣の助力で、賢明な政治が行われるも、彼は政治には興味がなく、徐々に本性を出していく。好き勝手に政治を行った彼は、すべての物に見放され、追放され、自殺の道しか残されていなかった。

 

トラヤヌス(98~117)

交戦好きな軍人皇帝。ローマ帝国史上最大の領土を築き上げた。いわば攻めの皇帝。

最善の元首と呼ばれ、積極的な対外政策で帝国の領土を拡大。

 

ハドリアヌス(117~138)

旅と建築に明け暮れた平和主義者。トラヤヌスが攻めの皇帝ならば、ハドリアヌスは守りの皇帝。そして、皇帝として初めてひげを生やした人物でもある。

戦争は好まないが、旅行好きなハドリアヌスは、統治期間の大半を帝国各地の巡回に費やした。城壁を築いて辺境地を強化し、属州都市の整備や公共施設の充実に精力を注いだ。ドイツのリーメス・ゲルマニクスドナウ川からライン川までの約550kmの城壁)やイギリスのハドリアヌスの長城が有名。他にもローマ地区のパンテオンサンタンジェロ城、スペイン、トルコ、ギリシアアルジェリアリビアといった世界各地にハドリアヌスに関連した遺跡がある。

 

ディオクレティアヌス(284~285)

帝国の分割と立て直し。この頃になると、各地で起こる反乱を1人の皇帝で収拾するのは困難と見て、国家の防衛を図るため、2人の正帝と2人の副帝によって4分割して統治する新しいシステムを作り上げた。

ディオクレティアヌスは混迷するローマを離れ、小アジアのニコメディアを首都として、東方統治に専念。西方は友人であるマクシミアヌスに正帝として、首都はミラノ。さらに東の副帝はコンスタンティウス・クロルスを立て、副都はモエシア(ギリシア)のテッサロニケ。西の副帝にはガイウス・ガレニウス、副都はガリア(ドイツ)のトリアとした。4都はローマを離れ、帝国の名こそあれ、皇帝不在という都市に落ちぶれていた。

303年、キリスト教に突然厳しい弾圧を始める。従来のギリシアやローマの信仰は多神教だが、キリスト教は唯一の神であり、神は万物の創造主とされる。現世に生きる皇帝さえも超越した絶対者であるという宗教観は、寛大なローマの神々とは相容れない思想であった。しかし、国の力は衰退し世の中の不安が不穏になるにつれて神にすがろうとする信者の数は増え、民衆の間に浸透していく。

ローマの再生に成功したディオクレティアヌスは305年、自ら退位して故郷スプリト(現クロアチア)に戻る。東西の副帝が正帝に昇格。

 

コンスタンティヌス(307~337)

キリスト教を公認した初めての皇帝。

混乱の中から頭角を現したのが、コンスタンティヌス(西の正帝コンスタンティウス・クロルスの子)とマクセンティウス(東の元正帝マクシミアヌスの子)であった。

この2人はキリスト派と反キリスト派であり、ローマ帝国で初めての宗教戦争となった。312年コンスタンティヌス(キリスト派)が勝利しローマに入城。

キリスト教会の建設も積極的に進め、ローマ司教のためのラテラノ大聖堂や、ローマで殉教したペトロの墓の上には聖堂(現在のサン・ピエトロ大聖堂)を建立。