本好きナースマン

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釧路発祥①魚河岸

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とある冬の日、幣舞橋を見に行こうと橋の近くへ。その橋のすぐそばに何やら石碑が。

【魚河岸発祥の地】と命名された石碑。言葉として魚河岸という言葉は聞いたことあるけど、よくわからず。そこで調べてみました。

 

●魚河岸

魚市場のある川岸の意味。日本橋から江戸橋にかけての川岸に魚市場があったことに由来する。日本橋の魚市場は慶長(1596年~1615年)に開かれたとされ、幕府の特許を得た魚問屋が営業、江戸の隆盛とともに、本小田原町、本舟町、安針町を中心に栄えた。関東大震災後、築地に移転してからは、東京都中央卸売市場築地市場)の通称として用いられるようになった。(コトバンクより引用)

 

魚河岸というのは全国各地にあり、釧路の最初の魚市場が開設された記念として建立された石碑のようです。

 

釧路の橋北地区の西幣舞・トンケシに、2つの漁業集団が来住した。

1つは、新潟ータラ・カレイの底魚ー延縄・手操網漁業ー現在の旭町など

1つは、八戸ー小ニシンートンケシ

 

明治44年の釧路国勢1班には、①沿岸漁業が衰退し自然、漁業を沖合に求めることになった、②マグロ・サメの流し網と目抜鯛の延縄漁業が、釧路沖合で操業しているという。漁業が沖合へ拡大し、漁業種目がさらに増加したことで、水産加工にも変化があらわれた。

水産製造品を、①サケ・マスは塩蔵、②マスの缶詰、③マグロ・サメの堅節、④ニシン・カレイ・稚魚の搾粕、⑤マグロ・目抜鯛・藻魚は生売り。

 

マグロ・目抜鯛らの生売り販路を「函館・青森は汽船、札幌以東は汽車をもって輸送す」とある。明治40年9月4日に狩勝峠が開通し、釧路ー函館間の鉄道全通は釧路港水産物輸送に変化をもたらす。

同年、11月3日(明治天皇誕生日)に水印㈱魚菜市場が開業。取扱い品目は「魚鶏獣肉、委託販売」。開設場所は西幣舞2番地というから、現在の錦町3丁目1番地。

山縣象二、池田榮太郎、高橋弁吉、佐々木桃作、飯塚城之助といった役員、しかし利益はあまりあがらず赤字であったという。理由は浜売り旺盛で漁業者の多くが漁獲物を市場に搬入しなかったという証言もある。

この水印魚菜市場は、釧路の最初の市場。平成6年8月、幣舞橋の北橋詰、釧路フィッシャーマンズワーフ(MOO)のかたわらに、「釧路魚河岸発祥の地」碑が建立。

設置したのは釧路魚がし会の人たちだった。