釧路の歴史探訪②チャシ
釧路にはかつてチャシと呼ばれる呼ばれる遺跡が存在した。
釧路川流域チャシ跡群という通称で11ヵ所のチャシを指す。そもそもチャシとは何か。
アイヌ語では「砦」を意味する。つまり城のようなものである。
北海道には姫路城など、誰しもが連想できるような城は一部にしか存在しない。道南と言われる函館などの地域には松前城などが存在する。これはかつて津軽地方の安東氏が北海道に逃れ、道南地域に防衛拠点として築いていったことで本州と似たような城が築かれた。
一方、チャシはアイヌの人々にとって重要な拠点であった。釧路市内の有名なチャシには、モシリヤ・チャシとハルトルチャランケチャシが存在する。
モシリヤ・チャシ
モシリヤというのはアイヌ語で「島のある川」という意味だそう。1751年、釧路アイヌの首長トミカラアイノが建造したと伝わっているが、築城者がわかっているのは非常に珍しい。
直径170メートル、内郭と外郭に分かれ、内郭の周囲には空堀がめぐらされており、立派な要塞であったようだ。
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ハルトルチャランケチャシ
チャランケはアイヌ語で、裁判などを意味する語で話し合いの場所として使われていたたよう。ハルトルは地名で現在も春採(はるとり)として名前が残っている。
チャシの高さは12メートルほどで、春採湖と呼ばれる湖に、突き出すような形で残っている。
チャシ山頂から湖の方に向かって撮影。この日は気温23度程。釧路特有の海霧(じり)も発生しており、あいにくの天候でした。
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