本好きナースマン

色んな本を読んで日々の生活に潤いを与えています。目指すは年間100冊読了。

斎藤佑樹選手 引退

私自身、野球経験はないが何かと縁があった、高校野球

今思うと遡ること20数年。中学3年生のことだ。島根県の中堅都市の浜田市というとこで育った。地元には3つしか高校がなく、その1つの浜田高校、通称「浜高」に進学予定だった、夏。甲子園の舞台に立っていたのは当日浜高のエースだった和田毅選手(現在もソフトバンクホークスで活躍されている。松坂世代の1人)である。ベスト8まで進出した。当時はこの学校に入ったら甲子園に応援に行けるのかなと思った記憶がある。

 

受験も頑張り無事に合格できた私。目的はテニス部に入ることだったのだ。

中学まではサッカーをしていたのだか、中学の時に見たウィンブルドン、そしてサンプラス選手の活躍にときめいて、ネットを挟んで1対1で戦う姿に憧れを抱いたのだ。

野球部はやはり伝統校だけあって(OBには和田選手以外にも梨田監督もいる)、設備は整っているし、寮もあり、待遇は別格だったように思う。それに比べテニス部はできて間もなく自前のコートもない状態だった。

だから、勝手に野球部をライバル視し、学校周りを野球部が走っているときも負けたくない気持ちで全力で追い抜いた。野球部並みに練習したと思う。おかげで県大会でも上位に入り、卒業間近にテニスコートができることになった時は感無量だった。

その後、縁あり北海道の大学へ進学。それが2003年のことである。この2003年というのが南北海道の代表として駒大苫小牧が初めて甲子園に出場した年である。そして、2004年、2005年と夏2連覇するのである。2004年までは優勝旗が津軽海峡を渡ったことがなかったのだ。初めて渡った年。そして、同じ2004年日本ハム北海道日本ハムとして札幌を本拠地としたのだ。島根の時もそうだったが当時は地方で流れる野球は巨人であった。北海道もそうだったようだ。日本ハム自体もパリーグということもあり、新庄選手がマスクパフォーマンスをしたりと話題はあった気がするが、2004年3位であった。

どちらかいうと2004年、2005年駒大苫小牧の連覇が野球を盛り上げた。そして2006年、3連覇のかかる田中将大選手率いる駒大苫小牧斎藤佑樹選手率いる早稲田実業がぶつかったのだ。延長15回でも決着つかず、翌日にもつれこむ投手戦は本当に素晴らしかった。

あの時はハンカチ王子とメディアが盛り上げていたが、マー君を応援していたので悔しかった。

その名勝負があった2006年に今度は北海道日本ハムが移転後、初の日本一になり、北海道での野球人気を高め、2010年にはマー君のライバルだった斎藤選手が日ハムに入団することになり野球人気を確固たるものにした気がする。

高校野球もその後も優勝までいかないものの、甲子園で上位にくいこむチームがいたし、道産子選手も輩出。

プロ野球でも数々のドラマが生まれ今日に至り、そして今年、斎藤選手引退が決まったのである。プロ野球に入ってからの結果でいえば、正直もの足りない部分は否めないかもしれないが、本人にしかわからないプレッシャーや苦悩はたくさんあったろうし、誘惑も多かったと思う。プライベートな部分でもニュースにされることは多々あった。

これだけSNSが一般的な世の中になり、何が真相がわからないままに、噂かもしれない情報が一人歩きし、それを第3者や第4者が情報を得る頃には噂も真相になり、それに対してアンチも出現。本当に恐ろしい中で、比較的前向き発言が多かった(今思うと自分を鼓舞してたかもしれない)のは、素晴らしかったと思う

まだまだお若くこれから先の人生の方が長い訳ですから、野球から離れるのも、引き続き携わるのもゆっくり考えていただければと思います。本当にお疲れ様でした!!